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猫のいうところの「あんたのこと好きやで」のサインを、友人相手にやってみたのだけど、彼女は猫ではないので、ゆっくり瞬きするわたしを見て「ねむたいの?」ときいた。
友人が猫ではないことはもちろんわかっていたけど、それで、ああ、猫でない友人に瞬きをしてもコミュニケーション方法としては認識されないのだなあとわかって、なんだかおもしろかった。
ねむたいかどうかでいうと、まあぼちぼちねむたかった。友人はただしい。
ときどき、どうしようもなく自分がこころもとないことがある。
眠たいのに眠れない夜のようなままならない感じ。
自分を自分として認識し続けるということはたぶんとても面倒なことで、普段は意識せずにいられても、なにかの拍子にやり方が遠くなる。
ときどきある、そういうことは、わりとよくあるときどきなので、気にしないでいればどうということもないのかもしれない。
でもときどき、のうちのいくつかには、どうしても寂しくなってしまうので、そういうときにはエイリアンのことを考えます。
わたしに住んでいるエイリアン。
わたしに住まなくてもいいのに、わざわざわたしに住んでいる、わたしのことが気に入っているらしい、エイリアン。
エイリアンが気に入って住むくらいなので、なんだか大丈夫な気がしてくる。